香港デモと匿名掲示板:本日発売の『2ちゃん化する世界』の一部を無料公開
本日、石井が編著の『2ちゃん化する世界』という書籍を発売しました。清 義明さん、安田峰俊さん、藤倉善郎さんとの共著で、2ちゃんねるの歴史、Qアノン、香港デモまで匿名掲示板に関する幅広い内容を扱っています。
私は全体の企画・編集と香港のパートを担当させていただきました。今回のメルマガでは特別に香港のパートについて冒頭を無料公開させていただきます。
1.分散型デモとソーシャルメディア
香港は2019年から2020年にかけて逃亡犯条例修正反対運動に端を発する大規模な社会運動を経験した。この条例修正は中国本土で被疑者とされた人物を香港から中国本土に引き渡すことが可能になるもので、香港の「中国化」に対し反感を持つ人々を中心に反対の声が上げられた。この条例修正に反対する運動は「中」国に「送」られることに「反」対するという意味から「反送中」と呼ばれているが、長期化した抗議活動においてはデモ参加者の要求は「反送中」からかなり拡大しており、本稿では2019年6月以降に大規模化した香港における一連の社会運動を総称して便宜的に「香港デモ」と記す。香港は2014年の雨傘運動をはじめこれまでいくつかの大規模な社会運動を経験してきたが、本稿は特筆しない限り2019年6月以降のデモについて主に触れる。
この条例修正への反対運動は普通選挙の実現なども含んだ「五大訴求」という形でアジェンダを拡大し、長期的かつ過激な反体制運動へと変化していった。2020年以降の新型コロナウイルス感染拡大と2020年6月の香港国家安全法(香港国安法)施行により路上でのデモは落ち着くことになったが、香港の人々の政治意識やアイデンティティに大きな変化をもたらす事件となった。
この2019年6月以降の香港の社会運動は「リーダーなきデモ」として知られている。これは、明確な指導者がおらず、ネット上でデモの戦略・方向性が話し合われて進行した社会運動と一般に認識されていることを意味する。もちろん社会運動の中で影響力を持つ団体・人物はいるが、その団体・人物が社会運動全体に影響力を与えているとはいえない。形式上、警察に対し路上や公園でのデモの「主催者」として申請した人物・団体は存在するが、実際そのデモに集まってくる人々はどこの人物・団体が主催しているか意識していないし、実際にそれぞれの団体や人物に無関係の人々がデモに集まっていた(そもそも警察の許可を取らずに実施されたデモも多く、そうなれば書類上の「主催者」も存在しない)。
いわば「中央集権型」ではなく「分散型」のデモだったと言えるわけだが、反体制運動におけるプレイヤーはどのように情報共有と意見調整を図っていったのだろうか。これは反体制派が共有していたマインドとソーシャルメディアの積極的活用によって説明できるだろう。
まずマインドの面について。反体制派の中には親中派と見なされた店舗の破壊など暴力的な抗議活動を辞さない「勇武派」と呼ばれる人々から、平「和」的・「理」性的・「非」暴力的抗議活動のみを容認する「和理非」と呼ばれる人がいる。さらに中国全体の民主化を目指す「伝統民主派」と呼ばれる人々は一般に自身のことを「中国人」だと思っているが、中国と香港は相入れないものだとして香港独立を主張する「独立派」や香港アイデンティティを強調する「本土派」と呼ばれる人は自らを「中国人」とは異なる「香港人」と位置付けるなど、反体制派の中の人々はアイデンティティまで異なっている。
これほどまでに多様な人々が団結できたのは、反体制派が雨傘運動後分裂してきたことへの反省から「不割席」(中国語で「分裂しない」の意)をスローガンに分裂しないことが呼びかけられたからだ。雨傘運動の失敗は「民族主義的な香港ナショナリズム」を強調する本土派と「グローバルで普遍的な価値」を重視する自決派の間の分裂を引き起こしたが、「反送中」以後は反体制派の中で「やり方に同意できなくとも分裂しない」ことが強調された。このことで反体制派の中で相互批判は難しくなり、結果として団結が図られたと言えるだろう。
この「分裂しない」というマインドはソーシャルメディアの存在と大きく関わっている。ソーシャルメディアは「不割席」というマインドを反体制派の間で広めると同時に、「不割席」のスローガンによって意見の違いが「隠蔽」されていたからこそ意見対立が表面化しなかった。だからこそ、ソーシャルメディア上で意見調整と情報共有が大きな対立なく実行され、ソーシャルメディアが「分散型」デモの基盤となったと考えられる。
ちなみに大前提として香港国安法施行後も含めて香港政府は大きなネット規制をしていない。住所をはじめ親中派とされた人々の個人情報を公開している「香港編年史」(HKクロニクルズ)が香港から利用できなくなったり、一部のテレグラムチャンネルが香港警察によって削除されたりしたケースはあるが、それでも中国本土のようなネット規制からは程遠い。日本と同様のSIMカードへの実名登録義務化が始まったのも2021年9月とかなり遅い。
LIHKGはDDoS攻撃によってサイトが落ちることはあった。例えば、LIHKGは2019年8月31日の朝から夜にかけて15億回近いDDoS攻撃を受けた。最大で毎秒26万回の攻撃を受け、一部のユーザーはRedditやツイッターに一時的に避難した。しかしその後もLIHKGはオフィシャルな規制は一切受けていない。香港デモがどれだけ過激化しようとも香港政府はネット環境への干渉を強めなかった。その理由は分からないが、とにかくこのような香港政府の姿勢も分散型デモを拡大させた一つの要因だろう。
2.それぞれのソーシャルメディアとLIHKG
ソーシャルメディアはこのようにして「分散型」デモの基盤としてあり続けたわけだが、一つのソーシャルメディアだけが使われたわけではなく、フェイスブック、インスタグラム、ツイッター、ワッツアップ、テレグラム、そして今回取り上げるLIHKGのようにかなり幅広いプラットフォームが有機的に使用されていた。ただ、それぞれのソーシャルメディアは利用者層やアーキテクチャー(設計)が異なるので、香港デモにおいてもそれぞれが異なる機能を果たしていた。
例えば、若年層の利用が比較的多いインスタグラムでは、各中学(日本の中学・高校にあたる)の生徒会によるデモ参加を呼びかけるアカウントが多く開設されていた。「チャンネル」機能によって多数の人にリアルタイムで情報を伝えることに向いているテレグラムは、デモの最新ニュース配信によく使われていた。一度送ったメッセージも簡単に消すことのできるテレグラムやシグナルは、違法行為も含めたデモの戦略作りの話し合いによく使われた。ツイッターは当初ジャーナリストや著名人の使用が中心だったが、その後国際社会にデモ支持者側の主張を伝えようとする人々が流入し、香港の外の人へ向けた発信が多言語でなされた。
ソーシャルメディアだけではなくデモのために開発されたツールも少なくない。香港警察の位置や催涙弾の使用などがリアルタイムでわかる「HKmap.live」はその一つだ。このアプリは一度アップルストアから削除されたことがある。その他にも、飲食店や小売店を色によって分類し、各店舗の政治的立ち位置が地図でまとめて見ることができるウェブサービスなどがあった。
#HongKongProtesters
香港デモではこのような多様なオンラインサービスが使用されていたわけだが、その中でもLIHKGは香港デモにおいては特別な位置にあったように見える。まず、LIHKGは後述のように英語圏・中国語圏に開かれた香港のネット空間において、香港のみを主に対象としたオンラインプラットフォームという点で特殊だ。
加えて、LIHKGは匿名掲示板にもかかわらず香港デモで大きな存在感を持つようになった。例えば、2019年7月1日に最も民主派寄りの香港紙のアップルデイリー(その後、廃刊)が行った世論調査では、回答者の55%がLIHKGを香港デモで最も影響力のあるメディアとみなしていた。また、グーグルが発表した2019年の検索ランキングで「LIHKG」は第一位だった。
香港中文大学でジャーナリズムなどを専門とする李立峯教授らの研究グループは、香港デモでどのような情報源を参照しているかデモ参加者に聞いている。2019年7月1日の調査では、情報源として最も利用されているのはオンラインメディアとフェイスブックで、次いで伝統的メディア(テレビ・新聞など)、ワッツアップ、LIHKGの順だった。同年7月21日の調査ではLIHKGの利用が伝統的メディアを超え、調査データが公開されている9月末までこの傾向は続く。匿名掲示板が伝統的メディアを超えて参照されていたというデータもあるのだ。
このように反送中以後存在感を増したLIHKGはネットユーザーに限らず幅広い反体制側・体制側の人々に意識・言及される存在となった。LIHKGが香港デモの中でどのように機能したか考えるには、実際にどのように使われていたかだけではなく、LIHKGがどのように香港デモを取り巻く人々に認知されていたのか、すなわちLIHKGがどのような社会的存在・シンボルだったのか考察することも必要だろう。本章はこの両者に触れながら、匿名掲示板と社会運動の関係性の一例としてLIHKGと香港デモを見ていきたい。
いかがだったでしょうか?ちなみに本書の目次は以下のようになっています。
ご興味あればお近くの書店で是非手に取っていただければ幸いです。Kindle版もございます。
出版記念として3月3日に清 義明さん、安田峰俊さん、藤倉善郎さんとのトークイベントも開催予定です。会場参加・オンライン参加どちらとも可能です。
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