香港映画の定義が難しくなった?
今回のメルマガではインディペンデントメディアである『OUT OF SIGHT!!! Vol.2 アジアの映画と、その湿度』への石井の寄稿を一部再編集して配信します。メルマガ文末に「カナダと日本の白紙運動を語る会」と「オフ会 in 香港」の告知を記載しているので合わせてご参照ください。
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「香港映画は香港の政治情勢の悪化によって冬の時代を迎えている」ー近年の香港映画についてよく言われることだ。
その一方で、香港政府は香港映画を香港の魅力として国外に発信することに積極的だ。香港政府の商務及経済発展局傘下の組織であるCreate Hong Kongは、ロンドン、バンコク、東京など世界各都市で香港映画祭を開催する。
この映画祭は、東京ではわざわざ「香港特別行政区設立25周年記念映画祭」として広報され、Twitter上の香港映画ファンの間で波紋を呼んだ。昨今の香港の政治と映画の現状を作り出した香港政府が平然と返還25周年を祝っていることに反発を持った香港映画ファンが少なくないことを示しているのだろう。
実際に、これらの映画祭で流されるのはあくまで香港政府に認められた映画だけである。皮肉なことに近年海外で話題になっている「香港映画」はこれらの映画祭では流せないような香港政府に認められていない作品ばかりである。
香港理工大学でのデモと衝突を描いた『理大圍城』
香港国安法施行直後の20年9月に早速検閲を受けたのは『理大圍城』(Inside the Red Brick Wall)である。19年11月に2週間以上続いた香港理工大学での抗議者と警察の衝突を描いたドキュメンタリー映画だ。映画のレーティングなどを担当する香港政府の機関である「電影、報刊及物品管理処」(電検処)は、成人映画として指定し、上映前に映像中の行為が違法となり得ることと映像中のコメントなどが誤解を招く可能性がある旨を観客に示すように求めた。
それでも上映自体が禁止されたわけではないので、21年3月には香港の映画館で上映される予定だった。中国の中央政府の影響を強く受ける香港紙の文匯報が『理大圍城』を違法映画として激しく批判。文匯報は中央政府の香港での出先機関である中央人民政府駐香港特別行政区連絡弁公室(中連弁)と資本関係を持ついわば官製メディアであり、強い政治的圧力を受けた映画館は上映を取りやめ、その後この映画は香港の映画館では上映されていない。
21年6月には『執屋』(Far From Home)に対し電検処は多数の箇所の修正を求めた。この映画は、香港デモ中に逮捕された彼氏の家に警察の捜索に備えて「片付け」に来た彼女と体制派であるその彼氏の母親の間の分かり合えなさを通して香港の世代対立を描いたものだ。19年以降のデモでは自分が逮捕されたら警察にとって有利な「証拠」が発見されないように友人や交際相手に自宅の「片付け」を頼むのが一般的で、タイトルの「執屋」とは「片付け」を意味する。電検処はタイトルの変更や劇中の行為が犯罪を構成する可能性があることの表示を求めたが、監督はこれに応じずこの映画は香港で上映されることはなかった。
「国家安全」が香港でも上映許可基準に
その後、21年10月には政府による映画の検閲について定めた「電影検査条例」が改正され、各映画が「国家安全」を害しないかどうかが映画の上映許可基準として明文化された。たとえ検閲官が上映を認めても行政長官が国家安全を理由に上映許可を取り消すことができ、他の理由と異なり「国家安全」を理由に上映を規制された場合は検閲官の決定見直しを要求できないという映画製作者側に極めて不利な規定も加えられた。
法改正後、過去に公開されていた映画が検閲されるという事態も発生している。同性愛者の権利獲得のために声を上げる若者の挫折や無力感を描き、17年に台湾のアカデミー賞とも称される金馬獎を受賞した『暗房夜空』(Losing Sight of A Longed Place)はその一つだ。この作品は香港公開大学(現在の香港都会大学)の学生の卒業制作として作られた。
22年8月にこの映画は再び香港で上映されることになったが、上映は急遽取り消された。電検処は映画中の1秒にも満たない雨傘運動のシーンを削除するように求めたが、制作者や主催者がこれを受け入れなかったからだという。香港都会大学のYouTubeチャンネルでの公開も停止された。
香港で上映できなくなったのは香港を題材にした映画だけではない。21年11月、電検処は台湾の総統選挙を描いたショートムービの『美豬肉圓』(Piglet Piglet)に対し選挙と蔡英文総統に関するあらゆる描写を削除しなければ上映を許可しないと通告。制作者などは当然これには応じず、この映画が香港で上映されることはなかった。香港に直接関係ない政治的に敏感な内容も検閲の対象になったのである。
「香港では上映できない」とあえて表示
ここまで取り上げたのは、電検処からの指摘が表面化して報道されたものであるが、おそらく表面化していない部分でも香港の映画業界には影響が出ているのだろう。政治的意図が薄い映画だったとしても、「国家安全」の定義が曖昧である以上、幅広い作品が検閲の対象になりえる。例えば刑事ドラマで香港警察と黒社会の結び付きを描写すればたとえフィクションだったとしても違法性が問われるかもしれない。
それでも香港を題材にした政治色の強い映画は作られなくなったわけではなく、むしろ政治的圧力が強まる香港の状況を香港外に伝えようと映画が制作され続けている。香港デモを描いたドキュメンタリーである『時代革命』のキウィ・チョウ監督は、自身の態度の表明としてこのタイトルを設定したと日本のキリスト新聞のインタビューに答えている。「時代革命」とは香港デモ中のスローガンの一つであり、その使用自体が香港国安法違反に問われる可能性がある。香港デモを題材にしながらも、はじめから香港で上映する気はなく、香港の外で香港の人々以外にも見せるつもりで作った作品と言えるだろう。
『時代革命』と同様に香港では上映できないという「異常性」を強調することで話題性を呼んでいる映画もある。例えば香港デモの中での若年層の葛藤と自殺を描く『少年たちの時代革命』(原題:少年)は、予告編映像の最後に「香港では上映できない」と表示し香港や台湾のメディアで話題を呼んだ。
異なる時代を生きた香港人の葛藤を描いた『憂鬱之島』(Blue Island)は、香港と日本におけるクラウドファンディングにより制作された。香港での上映ができない可能性が高いのにも関わらず香港で多額の資金が集まったのは、世界に香港の置かれた状況を知ってもらいたいという思いを持っている人々が多くいたからだろう。およそ700万円を集めた日本におけるクラウドファンディングページにおいても「香港の実情を日本を起点に世界に知らせていきたい」と記述され、映画を通して香港の置かれた状況を世界に伝えようと協力が呼びかけられた。
どこまでが「香港映画」か
ここまで多くの出来事を並べれば「香港映画はもう終わりだ」という感想を持ちそうなものだが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けながらも政治色の薄い香港映画は制作・上映され続けている。香港映画全てが当然終わったわけではない。
しかしながら、香港の政治的状況がここまで悪化する前から香港映画はかつてほど世界で人気を得ていない。香港映画の衰退は政治的要因によるものだけではない。今、もう一度世界に注目される「香港映画」ではあるが、それが香港の政治的状況の悪化によるものだとすると何とも皮肉なものである。
香港デモ前に中国の政治的影響が強まる香港の未来を描いた『十年』の監督であり英国に移民した伍嘉良氏は、英国で香港人移民などによる映画祭を実施することについて「19年以降の香港映画の注目は政治的なものに移行しているが、香港映画の文化にはそれ以上のものがある」とインタビューに答えている。伍氏は政治化された「香港映画」だけが注目されていることにもどかしさを感じているのだろう。
そもそも「香港映画」とは何なのだろうか。かつて香港映画の作り手の中には中国本土から逃亡してきた作り手が多くいて彼らは広東語ではなく普通話で映画を作り続けてきた。筆者の専門ではないが、香港の大多数と言語を共有しない彼らがどれぐらい「香港人」としてのアイデンティティを持ち「香港映画」を作っているという認識だったのか気になるところだ。
「中国本土・香港経済連携緊密化取決め」(CEPA)の発効後は香港の映画業界は中国資本の影響を強く受けるようになり、中国の体制を意識して香港映画らしさが失われていると言われており、「香港映画」というジャンルは段々成り立たなくなっているとの指摘もある。香港で作られている映画が「香港映画」とはあまり認識されず、その一方で香港で上映できず作り手さえも香港にいないかもしれない映画が香港映画として世界的に注目されているという倒錯が起きている。
人と金の通過点として常に変わり続けてきた歴史を有する香港にとって映画に限らず何かを定義するのは簡単ではないのだろう。今後香港はどう変わり、「香港映画」はどのように語られていくのか予想できないこともまた香港の映画産業の興味深い点かもしれない。
という文章をお届けしましたが、石井は香港映画について専門家でないどころかほとんど知りません。今回の文章はあくまで香港映画を政治的・法的な文脈で観察した上での個人的感想です。
なぜわざわざこんなことを書いておくかというと香港において映画は今現在も作られ続けているし、香港における映画に対する検閲も(ニュースで報じられている範囲では)他の非民主主義的な国家ほどではない中で「香港映画は政治的規制によって終わった」と結論づけてしまうのはあまりに短絡的だからです(もしそう結論づけるのであれば相当の論証が必要でしょうし『窄路微塵』や『阿媽有咗第二個』のような政治性の面ではあまり語られない最新香港映画についての分析も欠かせないでしょう)。
あくまでこの文章で言いたいのは「(門外漢の石井にとっても)香港映画の定義って難しいよね」と言う個人的感想です。
「カナダと日本の白紙運動を語る会」と「オフ会 in 香港」のお知らせ
Key persons from the Chinese protests in Tokyo and Toronto will discuss in the Twitter Space.
东京和多伦多的 #白纸革命 的关键人物将在Space进行讨论。
@WesterAOC @loyloyree @marimo_mai
twitter.com/i/spaces/1MYxN… Scheduled: Chat with #白纸革命 Chinese protest organizers in Tokyo🇯🇵 and Toronto🇨🇦 石井大智’s Space · Where live audio conversations happen twitter.com
約60人の方にご投票いただきましたが、綺麗に4日程に分かれたのでなんと全日程で開催します。
①12月30日10:00~13:00@紅磡
②12月31日14:00~17:00@中環
③1月1日18:00~21:00@旺角
④1月2日18:00~21:00@旺角
※当日はこのスレッドで最新情報を必ずご確認ください
今回は以上です。お読みいただきありがとうございました。
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