海外中国人の白紙運動は一枚岩にはなれない?東京、香港、欧米の事例から。
お久しぶりです。また今月からゆるゆると香港・華人に関しての自分の気づきをメモに近いような形で皆様にシェアできればと思っております。今回は白紙運動について書きました。 メルマガ・ウェブ両方で配信しております。メルマガ登録ボタンは以下になります。
11月下旬から「白紙運動(白紙革命)」と呼ばれるデモが広がっている。これは、新疆ウイグル自治区ウルムチ市で起きた火災でコロナ対策による封鎖により死者が発生したのではないかという批判から始まった中国の厳しいゼロコロナ政策に反対する運動だ。デモによっては「ゼロコロナ政策」の批判を超えて、習近平批判、中国共産党批判といった体制批判にまで波及している。厳しい締め付けが続く習近平体制ではかなり異例のことだ。そして「白紙運動」は海外にまで広がった。
東京も例外ではない。11月27日には新宿駅西口地下に数百人が集まった。その3日後の11月30日には新宿駅南口にそれを超える多くの人々が集まった。WeChatなど中国本土で主流となっているSNSでは厳しい検閲によりデモ情報を拡散できない中で、口コミ、Twitterなどでデモ情報が拡散された。主催者はある程度組織化されているとはいえ、多くの参加者は何ら組織的背景を持たず、今までデモに馴染みのなかった中国人の若年層が多く参加した。
中国人の若者よりも目立った「旗」
ただ11月30日のデモで目立ったのは中国人の若者だけではない。というより、むしろデモに慣れていない中国人の若者よりも目立った人々がいたという方が正確かもしれない。中国からの東トルキスタン共和国独立を主張する人々が用いる水色の旗、同様にチベット独立を主張する人々が用いる雪山獅子旗、香港独立を主張する人が用いる「光復香港・時代革命」と書かれた黒い旗がデモ現場で存在感を示していた。
デモ現場で目立つ様々な旗(11月30日)
これに対してはデモに参加した中国人の若者の間でも様々な反応があった。「分離主義者と一緒の場所でデモをすることで彼らと同じような意見だと思われたくない」という意見もあれば「たとえ彼らの意見を支持しないとしても日本では『言論の自由』が保証されているのだから、彼らを拒絶することはできない」という意見もあった。後者のような人々も、デモ慣れしている旗を掲げる人々ばかりがデモ冒頭に演説して、初めてデモに参加するような中国人の若者が演説の機会をなかなか持てなかったことにはさすがに批判的なようだった。
ちなみにこれらの旗を掲げる人々は日本の「差別主義的右派勢力」との結びつきを理由に批判されることはあるが、彼らに嫌悪感を示していた中国人の若者も多くはそこまで理解して批判していたわけではないようだ。(彼らと日本の右派勢力との結びつきについては、近日中に発売する筆者が編者となっている書籍に収録した安田峰俊氏、藤倉善郎氏、清義明氏による対談に詳しく記載しているので興味のある方はぜひ参照していただきたい。)
それ抜きにしても「分離主義者」が目立つデモとなればそれだけで「境外勢力(外国勢力)による内政干渉のためのデモ」と中国本土で一蹴される可能性がある。「分離主義者」の参加でデモの意味が失われてしまうと考える中国人参加者がいるのは不思議ではないだろう。
このことへの反動なのか、その後の12月2日に実施された池袋駅前での集会は「スローガンなし、主義なし、訴求なし」とするように呼びかけられた。この集会は11月27日や30日のデモとは異なる主催者が呼びかけたもので、結果として誰もスピーカーを使わない静かな追悼集会となった。12月4日はまたそれまでとは異なる主催者が高田馬場でデモを実施したが、SNS上での求心力が小さい主催者だったためか参加者はほとんど集まらなかった。
池袋駅前で実施された静かな追悼集会(12月2日)
「一枚岩」になれない海外での白紙運動
ヨーロッパや北米を中心とした他の都市でも集会が実施されたが、簡単に「一枚岩」になれないのは東京に限った話ではない。「一枚岩」になれないのは様々なパターンがあるが、例えば先述のように中国政府から「分離主義者」と見られるような人々と一緒に行動すべきか考えが分かれるのがその一つだ。
他にも「ゼロコロナ政策反対」だけを主張するのか、「習近平退陣」や「中国共産党の一党独裁反対」まで主張するのかといった考えの違いで「一枚岩」にはなれないというケースもある。デモ慣れしていない人々が共通のアジェンダのもと団結するのは容易ではない。オランダの首都アムステルダムでの集会では集会の方向性を巡って一部のウイグル人と漢民族による小競り合いもあったようだ。
欧米と違って、中華圏であれば現地の人々も巻き込んでうまくいくかというとそうではない。香港でも香港中文大学などで「白紙運動」デモが実施されたが、中国本土からの留学生の参加が中心で、小規模なデモが散発的に実施されていることを除けば香港社会全体への広がりを見せていない。香港中文大学でのデモでは香港で一般的に使われている広東語ではなく中国本土で一般的に使われている普通話(北京語)でスローガンが叫ばれた。
「白紙運動」には参加しない香港人若年層
2019年からの香港デモに参加していた反体制派の若年層が多く使う匿名掲示板LIHKGでは「どの香港人が中国人なんて応援するわけ?」などの書き込みがあった。香港と中国本土のコロナ対策が異なるために中国本土の「ゼロコロナ政策」問題は香港人にとって共感できる問題ではないこと、若年層の香港人の多くが中国人としてのアイデンティティを有していないこと、反体制派の香港人の中には「香港が苦しんでいる時に中国本土の人々は助けてくれなかった」と思っている人々がいることなどがその背景としてあるだろう。
香港中文大学でのデモ参加者は普通話で「私たちは中国公民である。私たちは境外勢力(外国勢力)ではない。」などと叫んでいた。先述のようにこれは「白紙運動は外国勢力による陰謀である」という体制側の言説に対して反発するスローガンではあるが、(中国人とは違う存在としての)香港人アイデンティティを強調してきた若年層の反体制派にはなかなか共感できないスローガンでもあっただろう。
分裂しない社会運動は難しい
「白紙運動」に限らず、幅広い人々を巻き込みながらも分裂しない社会運動を継続していくのは容易ではない。2019年からの香港デモにおいては平「和」的、「理」性的、「非」暴力なデモを支持する「和理非」と体制側とみなされた人物・組織に対しては暴力的行為も許容する「勇武派」という全く異なる反体制運動の担い手が存在したが、互いの対立はそこまで表面化することはなかった。対立しても全くおかしくなかったが、その対立が「隠蔽」されてきたわけである。
香港の民主派も決して一枚岩というわけではなかったが、それまで分裂してきた反省を活かし2019年以降は「仲間割れをしない」(不割席)をスローガンに「やり方が違う相手を非難しない」ことが強調され、反体制派の間での批判が起きづらくなっていた。だからこそ反対する人々も少なくなさそうな過激な手段も含んだ社会運動があれだけ長く継続できたとも言えるだろう。
一方で、先述の新宿中国人デモの中心人物たちは「まとまらないこと」をあまり気にしていないようだ。中心人物の一人は「これで中国が変わるとは思わない。仲間割れが起きたとしても、各自が(中国の未来について)考える第一歩にしてほしい。」と語る。だからこそ彼らは11月30日の新宿デモ現場で先述の「旗で目立つ人々」以外の初めてデモに参加した中国人若年層がスピーチして意見交換の機会を作れるように、「旗で目立つ人々」とは別に輪を作って語り合う機会をデモ後半に設けた。
新宿南口で白紙を持ってスピーチを聞く中国人若年層(11月30日)
たとえ、デモが中国を変えなくとも、団結を生まなくとも、この運動自体が東京をはじめ海外の中国人若年層のマインドに与える影響は小さくないだろう。「白紙運動」に対する「記憶」が長期的にどのような意味合いを持つのか今後も注目していきたいところだ。
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